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官能小説家、深志美由紀の日記

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Lily Chou-Chou

リリィ・シュシュが10年ぶりに再始動するそうです。



とは言え、「リリィ・シュシュ」と言えば映画「リリィ・シュシュのすべて」のためにいわゆる劇中歌手としてプロモーションされた歌手で、実際に実在したミュージシャンではありません。


公開当時には公式発表されていなかったけども、その後、「Salyu」さんという女性がリリィを演じたということが発表されて、この「Salyu」さんは個人的に音楽活動なんかをしてらっしゃる。そうです。




んでもって確かに「リリィ・シュシュのすべて」のときはすんげーボーカルが来たなーと思ったのを思い出す。

その後のことは実は私は知らなくて、今回のニュースで初めて「へえ、ボーカリストはこのひとだったんだ」って知ったわけなんですけれども。


12月15日に一日限り「リリィ・シュシュ」としてライブをやるそうで、ちょっと観てみたいなー。




というわけで、なんだかしみじみと、表現者のプロデュース、またはセルフプロデュースについて考えてしまいました。


「リリィ・シュシュ」と言えば映画をご覧になった方は分かると思いますが、作中では「若者にカルト的、絶対的人気を誇るミュージシャン」という扱いです。

彼女の声と音楽は「エーテル」であって、その音が若者達を狂気や信仰へと駆り立てていく。


あくまでそれはフィクションなんだけれども、たぶん、現実にそういう表現者がいたら同じように若者は心酔するのではないかな、と充分に思わせるものがありました。


ちなみに、Salyuさんのブログなんかを見てみたけども、確かに彼女はリリィ・シュシュではありえない。

映画の存在を超えてリリィ・シュシュの信奉者であると言う人は結構いっぱいいて、でも、彼らはSalyuさんのファンではないだろうな、と思うんだな。



「彼女の声はエーテルです」


しかしてその「彼女」たるや、いずこに。



そこにあるのはただ「イメージ」なのではないでしょうか。


おそらくリリィ・シュシュに心酔している人たちは劇中で表現された「彼女」の「思想」をこそ信奉しているのだと思う。

でもその「思想」は現実にはないものだから、同じ声と姿を持つリアルなSalyuさんですらリリィにはなれない。

もちろん音楽性の違いとかもあるんだけどもねー!





なんてことをどうしてくそまじめに考えているかと言うと、わたし、男を思想で好きになるからさ。


セルフプロデュースされて切り取られたその人のうわずみを肥大させて愛してしまう。

でもそれってその人自身でもあるじゃない。

もちろんその人にはつまんねー部分もあるし実際はケツの穴にうんこがくっついてるかもしんないんだけども、それでも、その人が「見せたい」と思ったそのイメージを私は愛するなあ、と思う。


そして自分が表現者側に立ったとき、「何を見せるか」っていうのがすごく大事なんだなって思ったりしたわけです。

これ、実は最近、ミュージシャンとか小説家さん、いわゆる表現者のツイッターとか見ててちょっとだけがっかりしたりすることがあるんだよね。

まったく今の世の中なんだって垂れ流しでつまらない。


何でもかんでも見せればいいってわけじゃないよね、やっぱ、ちょっと謎めいてるくらいが惹かれるのもあるんじゃないかなあ。



かくいう私はどこまで脱げるかを信条としているわけで、まあ、矛盾してるっちゃ矛盾しているんですけれどもね。


非常に考えさせられることですね。






↓小説を置いたりしている本館でございます、よかったら!


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